アイマスSS「初心者二人」

淑女の化粧にしては薄く、少女の化粧にしては、それは濃すぎた様であった。
白がそこに在る。私の居る世界にしては、それはとても小洒落ていた。
大地はまるで、白粉でもつけるが如き色を纏い、紅を塗るように私の手を紅くさせる。
その冷えた手を額に当て、私は問う。
自分はどうなのか、と。
私の様は着飾った格好には見えなかった。厚手のコートを身に纏ってはいるが、下はいつものジャージ。
化粧なんて、生まれて一度もしたことはなく。唇も乾燥し、この寒さで菫のようで。
フードなど被ってしまえば、それは女ではなく、ただの不審者だ。
今の彼女は、背景となるか、または不審に見られる目立ちたがりか、しか選択肢がなく。
――だからこそ。
自身の問いに、何と答えていいのかさえ、結論が出ないでいた。
「……はぁ」
それでも雪は降り続ける。
「……いっそ、粉雪が私を彩ればいいのに」
彼女が天上を見上げると、頬で、雪が容易く溶ける。
対し、彼女はただ、苦笑を漏らすのであった。


目的の場所へ至ると、室内の暖かさに、安堵の表情が、自然と表に出る。
自らの肩の雪を払い、コートのボタンに手をかける。
「……よしっ」
そう意気込んで、扉を開く。
「おはよう、ございます」
けれど、その声は弱々しく。それでも、ハッキリと声は響くようだ。
が、それに応じる反応はなく――
「誰もいないのかしら……」
慎重に扉を閉める。申し訳程度にドアノブの音が鳴る、場内を闊歩する運動靴と、大した差のない音だ。
見ると、部屋の電気は付いていた。窓もシャッターが下りていない。この寒さで、スモーク硝子となってはいるが。
その硝子の一枚に、指でなぞって書いたであろう文字がある。
「でかけ……でかけてきます、って書きたかったんでしょうね」
なぞった跡を侵食するように、水滴が下方に垂れていた。血でなぞらえてあれば、立派なホラーである。
現在、私が読み取れるから良いもの、他の人への書き置きだとしたら、どうするべきか?
彼女は窓硝子の方へと近付く。コートの袖で手を覆うと、それをおもむろに消し始め、近いデスクから、紙とペンを拝借する。
「でかけてきます、っと」
緑色のペンでそう文字を書くと、今度は扉の方へと戻ろうとする。
――が、彼女はその動作の途中で一度、足を止めた。
「おはようござ――――え?」
奇しくもそれが、二人の最初の出会いとなった。



アイマスSS――「初心者二人」



「私の名前は、天海春香、っていいます。えーっと……あなたは?」
「……如月、千早」
きさらぎ、きさらぎ……。と空を見つめ、頭の悩ます少女を眼前に。彼女は先程メモ用紙とペンを机の上に置いた。
慣れた手付きで、自らの名前を書く。
「こういう、字」
「あー! それで如月って読むんだねー……あ、私はね」
ひょい、とペンを彼女から取り上げ、春香、と名乗る少女は、紙に同じように自らの名前を書く。
「こう書くの!」
「そ……そう」
私はなんとなく想像出来た……なんて言えないわね。
それにしても変な人だ、と、千早は思う。この事務所のアイドルなのかしら、と首を傾げ。
「如月さん、素敵な名前だねー」
だからその、笑顔を兼ね備えた、褒め言葉という不意打ちに、瞬時に対応出来なかった。
「あ、ありがとう……」
不思議な人だ。けれど、至って不快には思わない。
同時に、可愛い人。とも感じた。
無邪気に笑う少女を見て、まるで正反対な人生を送っているのだろうと、彼女は見つめた。
白やピンクを強調とした明るい普段着。明るい髪色に大きな瞳。要素がすべて、彼女を可愛いと感じさせるよう、際立たせていた。
モノトーンな自分を見て、余計にそう思う。
「あ、如月さんは、この事務所のアイドルの方なんですか?」
意外な事を問われた。
〜さんは、ということは、彼女は……?
「私は、少し用事があって来ただけで……貴女こそ、ここのアイドルじゃ……?」
一拍置いて、眼前の少女は答える。
「いえ……そう考えると、私もちょっと用事があっただけというか……」
お互いがお互いに、此処の人間ではない、ということを打ち明けた。
同時に、気まずい沈黙が続く。
――その沈黙を破るのは、押し黙った春香自身で。
「あ、あの! 私、ここのアイドルになろうと思って、オーディションを受けに来たんです!」
突如として、理由を述べた。
「そ、そうなんだ……アイドルになる、ね」
その次は、自然と言葉として溢れた。
「貴女なら、きっと立派なアイドルになれると思うわよ。天海さん」
ありがとうございます、と、少女に言われ。
同時に、彼女は自身の理由に振り返る。
なんて皮肉、そう感じながら。
「あのね――私は逆に、アイドルになる事を、断りに来たの」


                   ・


スカウトを受けたのは冬休みになるずっと前。都内に雪も降らず、葉が枯れ果てようとしていた時期。

アイドルを、やってみないか

その一言を聞いたのは、通学路の帰り道でのことであった。
怪しい勧誘だと思って、彼女は最初、無視することを選んだ。
けれど、彼は次の日も、また次の日も私に声をかけてきた。だんだん無視することにも飽き、一度くらい話を聞いてみよう、と気まぐれで誘いを受けた。
そこから、真剣にアイドルについてを聞かされた。貰った名刺を調べると、彼は本当にアイドル事務所の人であった。
好機だと感じた。
突然だが、私の夢は歌手になることだ。歌うことが大好きで、より自分を磨きたくて。その腕で、トップシンガーになりたかった。
そのためになることを欠かさず、これまで努力を積んできたと、誇りを持って言える。

もしその気があるなら、一度事務所に来てくれないか

名刺を貰ったときに言われた、最後の言葉であった。

やがて冬が来た。
その時の私は、アイドルになる、ということについて、本気で了承する気であった。
夢を追える、現在という現実を捨てれる。これほどの好条件、どうすれば破棄出来ようか。
そんな、ある日のこと――
彩り鮮やかな薄型テレビが連なる、電化製品特有の店で、私は初めてアイドルというモノをなんたるか知った。
華やかなステージ。ステップでかわいさを魅せるダンス。少女特有の愛らしさを見せた、表情。
重要視されることは、決して歌だけではなかったのだ。私がなるのはシンガーじゃない、アイドルなのだから。
ダンスを踊ることさえままならない、笑顔だって上手く作れない。
ましてや、私のような素体が着飾ったところで、こんなに可愛くなれるのだろうか?
葛藤だけが重くのしかかる毎日。一度は結論を急いだことであっても、たった一つの障害が、私に「無理」という烙印を押す。
ある時、私は嫌になった。
考えることが、思考で囁く自分自身の言葉が。
そうして、刻だけが過ぎ。
――断りの返事をすべく、今日という日がやってきたのだ。


                   ・


「……私は、貴女のように、輝いてなんていないもの」
そういって、彼女は溜息をつく。
俯いて語るので、本当に溜息が出たのかは定かではないが、安易に想像できる様であった。
私は、まだアイドルではないから。
アイドルというものが、何かわかっていないから。
だから、眼前の少女に、アイドルになろう、なんて簡単な事は伝えられなくて。
「――あの、私は、そうじゃないと思います」
簡単な事じゃない。
けれど、シンプルな頭脳で挑めば、きっとそれは簡単になると思うから。
「如月さんは、なんで、最初アイドルになろうと思ったんですか?」
それは彼女が既に言い終えたこと、けれど、改めてもう一度聞いておきたかった。
「それは……歌える場所が、歌で伝えられる、そういう居場所が欲しくて」
きっと、この如月千早という少女において、それが唯一の目的。
ならばこそ。と、春香は確信する――
「それで、いいんじゃないですか?」
思わぬ答えに、千早は驚いて、顔を上げた。
「私も……最初は自信がなくて。歌うことは好きだけど上手じゃないし、ドジだし、特別かわいいなんてこともなくて……」
眼前の少女は、真剣に語る。
「でも、それでも。私は、アイドルになりたくて来ました。頑張って頑張って頑張って! それで、立派なアイドルになれればいいな、って」
アイドル。
私にとって、ただ、歌えるためだけに用意された職種。
そう、そうだ。私は『アイドルになる』ということに不安になりすぎていて、なぜ『なりたい』のか、という事を閉じ込めていたに過ぎず。
「だから、如月さんも、それで良いと思います! きっと、誰だって最初は、私達のように不安だらけでここに来るんです……だったら、振り払えるほどの強い人にになるために、アイドルになってみませんか?」 
またその顔で、無邪気に笑む。人の気も知らないで、余計なお世話よ。と、呟きたくなるほどに。
知ってるわ、知ってたよ。天海さん。
私は多分、引き止めて欲しくて、此処に来たということを。
「それに、如月さん……充分に綺麗ですよ?」
「なっ!?」
ずいっ、と少女が千早へと顔を近づける。その差に、数センチという単位は大きすぎ。
「ほら、お肌だってすべすべ……!」
撫でられるくすぐったさに、千早は。
「もう……やめてください!!」
その声は、扉を叩いた時とは大違いで、外まで透き通る、美しき響きであった。






「……では、本日付けで、貴女をこの事務所のアイドル候補生とします。天海春香さん」
事務所の女性から、書類を受け取る少女が一人。
「はいっ! よろしくお願いします!!」
書類と同時に、事務員さんの笑顔を受け取ると、春香はそこで、その場を離れた。
忙しなく働く人々。師走の時期はとっくに過ぎ、季節は春になろうとしているのに、随分とこの事務所は慌てているかのようだ。
鳴り響くコール音、交わす言葉と積まれた書類を華麗に避けながら、春香は出口を目指す。
ドアノブに手を伸ばす、その一瞬。
――ガラスの向こう側に、人影を見た。
「……? あ、春香」
シャカシャカと鳴り響くイヤホンを外し、長髪の少女は、会釈をした。
同時に、視線を彼女の手元に送る。
「……やっと、アイドルになれたのね。おめでとう」
「うん、夢を叶えに来たよ。千早ちゃん」
それをいい終え、にーっと笑うと。春香はその場で、千早に抱きつく。
「ちょ、ちょっと……! 何するの春香!」
しがみつくのを無理やり剥がそうとする。千早の方が腕っ節が強いのに、こういう時の春香には、不思議と勝った試しがない。
「えへへー……あ、今日はお化粧でもしてるの? キレー」
ジロジロ見ない、と、左手を春香の顔に押し付けながら。
「この後の仕事で……ね」
と、照れて頬を掻くしかなく。
「貴女の言った通りだったわ……やってみないと、わからないものね」
「うん!」
春香は満足気に、そう、力強く頷いた。


END