一時間SS:お題「初夢」 はるちはSS「キスから始まる初夢の幻」

一銀の星。
それを覆う漆黒の曇天。
ソレはブラウンの天幕を見に纏い、私へと向けて降り注ぐ。
雨のように一瞬で消えることもなければ、積もることは決してない。
けれど同じように、嫌悪と情緒なきことと思えた。なんというか、くすぐったいのだ。
顔にかかるからこそ、それを振りかざそうとする。
けれど、行動を起こす両手は、曇天によって封じられていた。
「千早ちゃん……」
曇天が私の名前を呼ぶ。
千早は、自身の真名に自覚を得る。
天上に煌めく星は偽物で、それを隠す曇天は、一人の少女である、と。
少女の名を、私は知っている――だからこそ、とっさに彼女の名前を呼ぼうとした。
「はる―――――」
けれどそれは虚空へと消え。
そして、本当に、曇天のように私を覆った。
その感触は、まるで内臓に手をつっこんだ時のような。
もしくは、海鼠を啜るかのような。
どちらにせよ、千早には経験のない二択であり、
そして、この行為も、彼女にとっては初めてであった。
噂で聴いた柑橘系というより、それはまるで、ラベンダーのような。
暖かい、モノであった。

―――俗に言う、接吻、という奴だ。



一時間SS:お題「キスから始まる初夢の幻」



そっと、自らの口に手を添えた。
頬よりも柔らかい感触を得る。気をつかっているわけではないので、少し、乾燥していて。
どちらかと言えば、傷だらけの下唇。
「はぁ……」
今朝に見た夢の回想は、以上で終わり。
示すカレンダーの色は朱に染まり、数字は「2」と表示されている。
千早は、自身の座るソファから、逆向きにそれを見上げた。
座る様は、まるでこの部屋の大将であり。出立は、その悩みを彷彿とさせているようで。
残滓だけを気に掛ける、一人の乙女であった。
「……なに、してるの?」
溜息をつく途中で、誰かが私の視界に入った。
ひぁっ、と、柄にもない声が出てしまう。驚きは音のある発声で示せるものの、本当の意図は、瞬時に出すことは出来ない。
けれどそれが、自らの顔に出ていたのではないか、と、不安になりながらも、
「お、驚かさないで!」
と、華麗に返事をしてみせた。
「ご、ゴメンね、千早ちゃん」
利き手を自らの頭に置き、少女がぺこぺこと頭を下げる。
その動作で、自らが付けるピンク色のリボンが揺れる。そのリボンの真下には、粉雪が降り注いでおり、かわいらしいデザインであった。
千早は「冬仕様なのね」と、脳裏の片隅に補完する。
彼女が大袈裟に謝るほど、私は怒っているわけではなかった。
故に、告げる。
「急に入ってきたことにビックリしただけだから。こっちこそ、急に大声だして……」
逆に、謝ることで、相手に意図を示す。
けれど春香が謝ることを止めようとしないので、私は「……やめましょうか」と、自身で区切りをつけた。
「ねぇ」
そのやりとりから幾分と経たず、持ち前の立ち直りの速さで、春香は急遽、発言を得る。
「どうしたの、千早ちゃん?」
突然の問いであるが、お見通しか、と、諦める。
春香が本気で心配をしている。そんな顔が理解できた。
けれど、
「な……なんでもないわよ」
言えるわけ、ないじゃない……。
貴女と、き、キスをする夢を見たから、意識してる。なんて……。
変なところで空気を読まない子だ。と、千早は思った。
私は、瞬時に春香の想っていることが、顔を窺うだけで理解出来るというのに。
一瞬だけれど、私の顔をみた春香には、それが伝わらないなんて。
伝わってしまっても、困るのだけれど。
「千早ちゃん……」
春香が、私の名前を呼んだ。
既視感が襲い、私は、ドキッとした。
「な、なに……?」

千早ちゃん

その言葉は、夢で聴いた囁きと、とても良く似ていた。
トーンは似て非なるものだけれど、模造品というには良く出来た武器で。
何より、現実という事実が、私の胸を飛躍させた。
「私のことで、悩んでいるんじゃない?」
ソファに腰を下ろす私に対し、春香が私の首に巻き付いてくる。
座っているから、彼女の方が高身長だと錯覚する。春香はその腕を首元で締め、私の顔へと、自身の顔を近づけてくる。
「な……!」
千早が抵抗するよりも早く、自らの利き手のみで、千早の両手を封じた。
二つの手首を抑える手は、特に力が籠もっているとは思わなかったが。
――なぜか、抵抗という言葉が、脳裏から消えていた。
「千早ちゃん……」
春香の顔が私に近づく。
私の目は、彼女の顔全体を捉えているというよりも、ただ一点。その、リボンにも似た淡いサーモンピンクが、迫ってきていることへの恐怖。
夢の恐怖は、いつしか情欲の色へ。欲しているのだと、私が求めているという事実に、絶句する。
私と春香は……同じ夢を持つ仲間で……!
けれど、春香は段々と迫る。
その拍子は心臓の音と呼応するようにステップをする。けれど、一拍は一分のように感じ、なぜかスローモーションで劇場は場面を揺るがす。

ダメ…!

やがて、世界は春香一人で塗り替えられる。
視界に映るのは彼女の唇だけ。
彼女は何も言わずに、私を覆う。
覆いは塗りつぶすことと同じで、まるで春香に染められるような。

ダメ……!

そして、二人の距離に隙間はほとんどない。
吹き抜けは音となって、狭まりを伝え、光は扉のように次第に閉じる。
そして千早の心も、既に崩れかけており――

「ダメーーーーーーーー!!」

声は鶏のラッパを超え、揺るがす騒音となって、事務所に響いた。
そこで千早は初めて、全てが夢であると悟った。


                ・


「はぁ……」
散々な夢であった。
神経が一点に集中していた。彷彿とする罪悪感だけが、彼女の脳を刺激する。
頭を抱える千早を見て、背後に立つ人物は声をかけた。
「千早ちゃん!」
それは、聞き覚えのある声で。
「はる……か」
鬼でも見るかのように、訝しげな顔で、千早は後ろを振り向く。
「ど、どうしたの!千早ちゃん!」
何も知らないで……、と、千早は少し拗ねて見せ、
「何でもないわよ、ちょっと酷い悪夢を見ただけ」
すぐに視線を地面に戻し、街の殺人鬼のような当人から背けた。
春香はそのまま、自らの持つマグカップを、千早の座る机の上に置いた。
その香りは千早が好き豆の匂いであり、それが珈琲であると瞬時に理解した。
「ありがと」と、頭を抱えたまま千早は告げ、うーん、と、また魘されたように呟く。
「千早ちゃん、それってもしかして、初夢なんじゃない?」
そういえば、今日は1月2日。言われてみれば新年最初の夢であった。
仕事が忙しい千早からすれば、正月気分なんて、今の今まで忘れていたのだ。
であるからこそ、仮眠室で変な夢でも見たのであろう……。
「……初夢と言えばさ、ねぇ、千早ちゃん」
春香が私の名前を呼んだ。
だから私は、その顔を上げ――。
そして、春香の顔が、恍惚であると悟った。
「私ね、千早ちゃんとキスする夢を見たんだ。今朝」


どうかこの夢が、正夢にならんことを……。



END