一時間SS:お題「夜」 

右手を天上に掲げると、広げきった隙間から、光が差し込む。
左手は自らの頭を支え、他の四肢は、だらけきって地面へ屈する。
フローリングは季節の変わり目を投影し、氷面上のような冷却を持つ。
そんな場所であってもなお、彼女は寝転がることを選択した。どうせ自身の身体は汗だくで、どちらかと言えば心地の良いものであったからだ。
同じように転がるペットボトルを、掲げていた右手で拾う。特に封を開けることもなく、それを頭上へと投げつける。見ずともそれは綺麗に着地したようだ。鞄によって、鈍い音が展開されていた。
と、身体を前へ起こす。はぁ、と一つ、息が漏れ。同時に、汗が自らの腿へと落ちた。
その刹那――


ピリリ、ピリリ。


聞き慣れた電子音。手紙を運んでくる、配達員の調べ。
メールという名の、現代の機能だ。
文面はなんてことのない、ありふれた言葉。
『もうレッスン室からは出たか? もう良い時間だろう、まだ居るなら帰るんだぞ』
いつも見るような台詞。本当、そのまま彼の言葉が再生されそうで。
そして、それを見た途端に思ったのだ。

「寂しい……」



1時間SS:「一人の夜」



彼女は、アイドルとして結果が出せずにいた。
伸び悩むからこそ、出来ることはレッスンの連続しかない。一日のほとんどをレッスンに費やし、ただ、自身を磨くことだけに重点を起き。
故に、プロデューサーと共に行動する時間が減っていた。
レッスンを覗き、時には指導をくれたり、そうやって居てくることはある。けれど、彼の仕事はそれだけではない、私のスケジュールを管理し、営業の依頼を掴んでくることも重要な仕事であるのだ。
それに、彼はもう、私一人のプロデューサーではない。他社から移籍してきたアイドルを任され、負担も二倍なのだろう。最近ではろくに自宅にも帰れていないらしい。
ならば、私が出来ることと言えば――
一人で、頑張ること。
少しでも彼の仕事を減らそうと、私は一人でいることを望んだ。
それは彼のためといいつつ。
足手まといになるなら、言われる前に離れようと思ったのだ。
もう一人の子は、私とは比べものにならないくらい輝いていた。アイドルランクもファン数も桁違いで、移籍する前からテレビにもたくさん出ていて……なにより、私なんかより、プロデューサーの近くにいて。
「そうじゃない……そうじゃないよ」
首を横に振って、考えを打ち消す。
彼女は立ち上がり、自らが羽織るジャージのファスナーを、少しだけ下げた。
そのまま、とたとたとある方角へ向けて歩き出す。
汗が彼女の足跡のように滴り、その道標の先には、大きな窓があった。
特にカーテンがあるわけでもなく。その場所へ着くや否や、躊躇なくその窓を開いた。
風の通り道が出来、嬉しそうにその方向へと飛び進む。
その中心に彼女が立っていた。彼女が指針であり、風速が、彼女を進めるための時速へと変化していた。
心地の良い風に、笑顔で彼女は呟く。
「涼しい〜」
窓越しに手を置き、天上を見上げれば、そこは無数の星々が彩る水中であった。
暗闇で輝く魚達のストーリー。紡がれる線で起こる星座の物語は良く分からないけれど、視界に映るこの一瞬が、綺麗な星空であることだけは認識出来る。
聞けば、地面も街灯で彩られた立派な夜空であった。
都心の中心に立つこのビルだ。未だ人の声は止まず、車は当たり前のように走る。
静寂とはほど遠い場所だな、と、窓一つでここまで違うことに驚く。
けれど、彼女が感じる寂しさは、そんなことではなくて。
「……」
――私は、逃げているのだとどこかで感じた。
頑張っているという建前は、ただがむしゃらなだけで、彼の負担を避けたいというのは、いつかそう言われるんじゃないかという恐怖で。
けれど、もうどうすることもできない。だって、自分でそうしたんだから。
このまま、アイドルも辞めちゃうのかな。


ピリリ、ピリリ。


また携帯が鳴る。同じ場所へ戻るよう、彼女はとぼとぼと歩いて行く。窓を閉めずに行ったため、冬空の寒さが、少し痛いとさえ感じた。
放置されていた携帯は、床の上で苦しそうに振動し、それが反映されたかのように、音楽をはき出していた。
立ち上がったまま、彼女は携帯を掬い上げ、その苦しみから解放する。
『……早く帰れっていつも言っているだろう。まだ残っているのか……いい加減寒いから出てきてくれ』
その文面に、彼女は目を見開いた。
慌てて、携帯を閉じ、先程まで身を預けていた窓へと走る。
目線を下に落とし、玄関口あたりに――その人物はいた。
彼は手袋をした両手を擦りながら、ちらちらと横を見ては、誰かを待っているようであった。
と、こちらに気付いたのか。
「―――――――」
片手を振り回し、俺だ、と言いたげにこちらに手を振る。
そんな姿を見て、彼女は少しだけ微笑んだ。
「もう……待ってて下さい!すぐ行きますから!」
彼の声が聞こえないのだから、その彼女の声も、多分彼には聞こえていないと思う。
けれど、それでも良かったのだ。


今日の夜だけは、彼女の寂しさも、かき消されるかもしれない。





END


あえてどのアイドルだとかかきませんでした。
皆さんのご想像で補完をどうぞ……!