四条貴音バースデーSS「千早編:祝福の歌」

「歌……とても、上手なのですね」
照らす月は既に雲に隠れ、灼熱の輝きは、地面へと還っていった。
全ての照明が消え、暗幕が貼られ、歓声も、私を見つめる瞳も。全てが閉じたこの空間。
息を整え、落ち着いた様で胸を撫で下ろす彼女に対し、突然、隣の少女は、そう語りかけた。
「……嫌み、ですか?」
私は呆れたような目で、彼女を見つめた。溜息さえも自然に漏れ、そうすることで、自身を演出する。
けれど、問いかけの君は、微笑みで私に見つめ返し。
「ふふっ、そうではありません。私は素直に、貴女の歌が、美しい、と感じたのです」
その笑顔を見て、私は自信の愚かさに呆れた。呆れを通りこして、さらに呆れたのだ。
恥ずかしい……そういう感情が、自然と零れた。
「あの……」
私が返事をしようと思った、その刹那。
『では、オーディションの結果を発表します』
再び月は姿を現し、スポットライトが全ての少女へ降り注ぐ。その月の光に照らされる少女達はさながら、天から授けられた竹取の姫君のようで。


『一枠のオーディションを勝ち取ったのは、四条貴音。おめでとう』



――四条貴音バースデーSS「千早編:祝福の歌」



踏み付ける地面に、自身の足跡が、くっきりと残る。
それを次々と残す様は、まるでチョコレートケーキにフォークを何度も突き立てるようであった。けれど、地面は崩れ落ちることはない。崩れるとしたら、それは彼女の足の方が早いことだろう。
痛いほど降り注ぐ鈍色の流星が、彼女にとっては苦痛でしかなかった。
紫外線さえも遮るローブがこの場にあれば、砂漠に取り残された、薄汚れた物であっても、喜んでソレを身に纏ったことであろう。
出来るならば、傘の方が好ましいのであるが。この際、雨を遮る物であれば、手段など、容易く切捨てられる。
何もないからこそ、彼女には走るという手段しかなかった。時にはコンビニや、書店のような場所で立ち止まり。雨宿りかつ息を整えるとい作業を繰り返す。けれど、気持ちだけは数km先に言っているような感覚で。
その感覚は、痛覚となって、彼女に付き纏っていた。
「……っ!」
右足の訴えを、言葉として吐き出す。けれど、発言に対し黙秘を続け、頑なに意見を聞こうとはしなかった。
紺髪は、雨で湿って竜胆のように華やかで、湿り纏わり付く衣服は、下地のシャツの色を映えさせていた。
けれど、彼女は走り続けた。
全てを恥じず、全てを受け入れ。
ただ、彼女は雨の中を駆け抜けていた。



「誕生日……? 四条さん、来週が誕生日なんですか?」
特にパッとしないパイプ椅子。雑音と人の騒音で溢れかえる中、多少ではあるけれど、それを遮断する一室の空間。
その開けた場所には、白いボードと二つの椅子だけが用意されていた。
席は満席で、居座る白銀の髪の少女へと向けて、少女は発言を拾う。
「ええ、そのよう、ですね」
俯くように、四条と呼ばれた少女は頷く。対し、つっこむべきではなかったかしら、と、一人不安な顔で見つめ返す少女。
「あ、ですが」
が、パッと明るくなって、白銀の少女は答える。
「『21日は盛大にライブでもしようじゃないかー!』と、社長が仰っていました。ですから、私は誕生日といえど、アイドルでいるようです」
その顔は、なぜか、本当に嬉しそうであった。自分の聖誕祭ライブ、たしかに私も、そんな企画があったとしたら、嬉しい。飛び跳ねるであろう。
ファンの方に祝ってもらえる。アイドルとして、申し分ない一日だ。
けれど、
「良いの、四条さんはそれで」
月並みだけれど、問いたださずにはいられなかったのだ。
「ええ……ぜひ、貴女も来てくれると嬉しいのですが。如月千早
そう彼女の口から言われ、千早は、心の底から安心をした。
「……事務所が許してくれるか分からないけれど、ぜひ、四条さんの歌を聴きに」
正直な気持ちだった。
彼女とは、あるオーディションで出会って以来、こうしてたまに、黒井社長の目を盗んでは、会話をするようになった。
きっかけとなったオーディションには負けてしまったけれど。どうしても、四条貴音という人物が気になってしまい、千早は声をかけることを選んだ。
ライバルではあるけれど、961プロの事務所の方針に、心配でもあったのだ。
けれど、そんな千早の考えを知らず、貴音は笑顔で。
「ええ、ぜひ。いつか、貴女と一緒に歌ってみたいですね……如月千早
その願いが、いつか叶えば良いな。と、千早も感じた。



――そして、IU決勝の結果が発表されたのが、本日正午の事であった。
それは、765プロからしてみれば、この上ない吉報であった。けれど、一人テレビの内容に驚愕する千早からすれば、外で降り止まぬ雨のような心境であったのだ。

四条貴音、電撃引退』

同時に、その情報が公にされたのだ。
黒井社長のことだ、IUに落ちたことで、即、四条貴音というアイドルを切捨てたのであろう。
そのニュースを聞いた瞬間のこと――千早には、一つ、こみ上げる何かがあった。
それは怒りなんてモノじゃない、貴音の気持ちを踏まえての、悲しみであった。
彼女が引退したことへの悲しみでもない。私より優れた彼女が負けてしまったことでもない。
ただ、彼女は泣いているんじゃないか。という想像に悲しくなったのだ。
――だから彼女は駆けた。
突如として事務所を飛び出す千早に、プロデューサーは途中まで追いかけてきた。けれど千早は振り払ってでもその枷を投げ、ただ、一人の少女に会いたくて、雨の中走ることを選択したのだ。
目的地は何もなかった。
けれど、一つ。行っておきたい場所があった。
それは、区内にある少し大きなアリーナ会場で。
「……はぁ、はぁ」
千早は息を整えつつ、その場から会場の方を見つめた。
その場所には誰もいなかった。この大雨の中、誰も舞台に上がることのない会場へ、好んで居る必要はなく。もし、傘も差さず居るとするならば、それはよっぽどの物付きか。
――もしくは、一人のアイドルであろう、と。
「四条さん……」
今日は1月20日。今夜と明日の夜に待ち受けた彼女のコンサートは、自身が引退するという形で、2つとも、中止になったのであろう。
貴音はただ会場を見つめ、ぐしゃぐしゃに濡れた身体で、ずっと、ただ会場を見つめ続けていた。
雨はまるで彼女の涙のようであると、千早は感じた。大粒の涙が、溢れ出るように降り注いでいるのだと。天は、貴音を祝福したんじゃない、感情として、表現をしたに過ぎないのだと。
同じように濡れた身体で、千早は、貴音へと迫った。
近づいても、貴音は何も言わなかった。だから、千早はもう語ることを止めて。
ただ、後ろから、彼女のことを抱きしめた。



1月21日
既に時刻は、その日を指していた。
雨雲は既に去り、嘘のように美しい天気であった。星はハッキリとその姿を表し、月は遠目からでも確認できた。
寒空の下で、自身のカーディガンを抑えながら、貴音はゆっくりと、口を開いた。
「寒いのですが……」
先程まで濡れていたのだ、無理もない。むしろ、彼女はいま、風呂上がりなのだ。
けれど、千早は彼女を外に連れ出し、
「いいから、外の景色を見に行きましょう。たしか、天体観測が趣味、だったわよね?」
無邪気な顔で、そう告げた。
「私は……ただ月を見上げるのが好きなだけで」
貴音はそう呟きながらも、乾きかけの靴を履き、千早の手に引かれて、小さな広場へと来ていた。
至って人は他に居らず、まるで、二人でリハーサルの舞台に立ったような感覚で。
そんな感情を抱き、千早ははにかんだ。
その照れを隠すように、手を繋いだまま、千早は告げた。
「お誕生日、おめでとう」
言い終えた後で、自分の顔を見られたくないと、千早は天上を見上げた。
貴音は一瞬、千早の方を見つめた。けれど、見つめ返すことはなく、貴音もただ、鎮座する月を、見上げることにした。
「これから……どうするの、四条さん」
間を作るのに我慢出来ず、千早が呟く。
これから、という言葉に、貴音は少しだけ苦い顔をする。
「どう、しましょうか……」
月は当たり前のようにそこにあって、変わるのは、それを見上げる人間の方であった。
それに憂う貴音の姿は、月とは比例せず、雲隠れしているようで。
だからこそ、千早は――
「――四条さん、私の歌、上手だ、って言ってくれたわよね?」
頬を掻きながら、今度こそ、千早が貴音を見つめる。
その動作に、貴音は見つめ返すことを選択し、こくっ、と頷く。
「じゃあ、今夜だけは、貴女のために歌うわ。四条さんの誕生日を祝福して、ね」
言い終えると同時に、千早は、透き通るような声で、月にめがけて歌い始めた。
その音色は、貴音の雲を晴らすには充分で、その顔は、聞き惚れたように微笑み。
その歌を、ずっと近くで聴いていたいと、貴音は思った。



END